それでもなんとか
仕事にも恵まれ
会社を辞めて1年後には以前の倍の収入を得ることができるようになった。
10年の社会人経験が大いに役立っているとはいえ、1人で仕事をできるというのはこんなにも効率のよいものなのかとつくづく思う。
しかも会社員時代に比べ拘束時間は半分だ。
フリーランスは不安定というが、薄給、激務で心身をボロボロにするよりよっぽどよいだろう。
でも時々叫びたいほどの孤独を感じる。
人と関わるのは苦手だが人の群の中にはいたい。
はじっこにひっそりといさせてくれたらそれで私は幸せだったのに、社会にでるとなにかと騒がしい。
仕事は真面目なので管理職になったこともあるし、いろいろな仕事もやらせてもらえた。でもいつも本当にきつかった。修行僧のようにただただ耐えて頑張った。
そして、糸が切れた。
最近、通っている病院の先生に「無理をすると狂気にころぶ心の脆弱性をもっている」といわれた。
あんまりだ思った。職場ではタフと呼ばれたこともあったのに、半年で10人辞める部署にも歯を食いしばって残った私なのに。
社会復帰する勇気をくじかれた。
自堕落すぎる
生活をいまはしているが、
去年は毎日、毎日激しいストレスで
張りつめた糸が今にもきれそうなところで歯を食いしばって社会に踏みとどまっていた。
結果糸は切れ仕事を辞めた。
辞めてからの一年は地獄だった。
自分の魂が身体から抜けてしまったような離人感、激しい頭痛、不眠、時々襲われる激しい焦燥感、家族にあうことさえ苦痛だった。自分が空間に流れ出してしまうような感覚。
それでも何とか家で出来る仕事の準備をはじめた。
図書館に通いよく回らない頭で必死に勉強する私は鬼の形相だったろう。
抜け殻のような身体で街をさまよい歩いた。
すれ違う人にぎょっとされた(ような気がした)
何かに集中していないと、正気を保てなかった。
本当につらかった。
なんとも
前の会社の社員が死んだ。
まだ20代、自殺だった。
変わった人だった。
複雑な生い立ちがあるようで、学歴もなくコンプレックスのかたまりのような人だった。
人との距離感がつかめなくて、私なんかは人に馴れ馴れしくするのもされるのも大嫌いて、話しかけないでオーラ全開なのにずかずか話しかけてきた。
あふれそうなコンプレックスを抱え、とにかく人に受け入れらたいそんな雰囲気にみちあふれていて、少しでも拒絶されると激しく怒った。
自分でもコントロールできない激しい承認欲求が彼を傷つけていった。
まだ若く、素直なところもあり男性の上司にも可愛がられ目もかけられていたと思う。
少し慣れるとかわいそうな人だなって思うようにもなったが、でもやはり病んでいるな、と思っていた。
正直彼を馬鹿にしていた。でもそれは学歴がないからでもものを知らないからでもない。自分の辛さを振り回し、自分でも受け入れられない自分を抱えきれずやみくもに人に近づき、受け入れられないからといって怒る。はっきり言って幼稚だ。
もう少し冷静に自分をコントロールできれば、彼の抱える過去が辛いほど大きな人間になれただろう。
けっこう嫌がらせもされたし本当にどうでもいいけど、私の一部が彼の死を悼んでいる。
目的地につくまでは
休まないこと、立ち止まってもいけない、したがって歩調は、かなりゆっくりと、汗の出ないていどに歩きつづけること
寂しがりやの構われ嫌い
「この問題が解けた人から、校庭に遊びに行っていいわよ」
いちはやく手を上げて教室を抜け出した私。
ジャングルジムに登ったり、ブランコに乗ったり
しばらくして広い校庭に1人、誰もこない事に気付いた。
「ひとりぼっちはいやだ」
痛切に思った。
それから色々な経験をして、失敗をくりかえした。
そして人よりできる事があるなら、その能力を人の役に立てよう。
それならひとりぼっちならないですむ。
そう思った。
群れるのも噂話も嫌い。
雑談も好きじゃない。
でもひとりぼっちはいや。
そんな私が社会に受け入れられる唯一の方法。
思い出したよ。
こどものころのこと
めがさめるといつもわらいだしたいような、今日も一日探検するぞという気分。世界のすべてをみたいような
お父さんと、お母さんが大好き。お父さんは何でも知っていて、私の質問にすぐに答えてくれる。お母さんは「お父さんにはわからないことはないって信じてるのよね」と笑いながらいう。
おねえちゃんはいつもちょっとあきれたふうでわたしにかまってくれる。
たいていおいかけまわして、まねをしているのはわたしのほうだけど、時々妹をかまいたくなるのか髪の毛を結わせてほしいとおいかけられることがあった。
こたつのまわりをぐるぐるおいかけっこ。
ちびくろサンボの物語みたいにバターになってしまう、幸せな子供のころの記憶。
お父さんは休みのたびにいろいろなところに連れて行ってくれた。
博物館、美術館、山や川、海、遊園地
自分のみているものをみせたいと、小さな私のよこにしゃがみ、わたしのあたまをしっかりもって「よく見ろ」と、美しい星座や、珍しい鳥。自分の見える美しい世界をわたしにしっかり教えるように。
わたしは目をしっかりと開き世界をみつめる。世界は、たいていの大人たちはそんなわたしにいつもほほえんでくれた。
いつからだろう。わたしは世界を直視することをやめてしまった。
今はもう、自分の中の美しい記憶がこれ以上すり減らないようにするのにせいいっぱい。